2008年10月19日
地図に載っていない隧道を追え!
今回の予備調査は日向沢ノ峰南方の隧道(詳細はGoogle Earthを確認)までのルート確認
快晴。午前10時に出発(寝坊)。八王子経由で青梅へ、さらに名栗へと進む。有間ダムから広河原逆川林道(舗装路)にて有間峠へ。着13時。
携帯のGPSテストを行う。圏外でも利用可だが、不安定。度々測位エラー。ハンディGPSの購入は必須と認める。
有間峠より徒歩にて赤ピンの位置まで約1時間。軽装のため、ここにて引き返す。尾根からは隧道および林道は視認できず。
有間峠からのアクセスは時間が掛かりすぎるため、林道有間線(ダートと思われる)が使用できればそれで行けるところまで。もしくは東京側のゲートが突破できるならそちらを利用した方が早い。
2007年04月12日
吹上隧道群070408 その3 「文政の切通し」
ここからは主任に代わりkarabinerがお送りします。
吹上隧道070408その2でも一部登場した「文政の切通し」。
諸事情により成木側明治隧道抗門付近からのアプローチとなった。
それらしい路面は隧道の上方に気配を感じた。
勘を頼りに我らがルートファインダー蒼田氏が名も無き沢の直登を開始する。
彼のルートファインディング術は素晴しく、こういったアプローチが不鮮明な場合は後進のメンバーへの手助けにもなる。
なぜか!?
アクロバチックな登りに加え発見した路面も獣道。
写真を撮ってる余裕なんかナカタヨ・・・
(karabinerは高所恐怖症で右側崖は特に苦手)
文政の切通しの歴史は古く、その名の通り開削は文政11年(1828年)。
当時の成木街道は成木で産出する石灰を江戸に運ぶ為の道で、輸送力アップのためにこの切通しを設けたそうである。
当時は成木往還と呼ばれ現在都市部では青梅街道と名を変えている。
切通しを見渡してみると現在でも人の手が入っているようだ。
恐らく林業関係や山菜採りで入山する人が多いのであろう。
実際成木側とは裏腹に黒沢側では歩きやすい道へと変化を遂げる。
小休止の後、黒沢側へと下りを開始。
突然の分岐も直感的に左を選択。
写真ではわかりにくいが恐らく右は作業林道だろう。
よく踏みしめられた小道を黙々と下る。
適度に刈り払いが行われているようで、江戸の道も平成の世で姿そのまま?活用されているのだと実感する。
右側には掘割の先にうっすらと明治隧道黒沢側の抗門が見える。
明治隧道のアプローチは成木側に比べ黒沢側のほうがだいぶ幅が広い。
成木側は昭和隧道を掘る上での地形改変があったのだろうか。
成木側明治隧道へのアプローチルートに良く似た道が黒沢側では江戸道である。
(という事は成木側でみた石垣は江戸期の物か!?)
暖冬の影響であろうか、緑が鮮やかである。
完全にピクニックだな。
若いカップルや老夫婦が「コンニチワー」とすれ違っても、別段驚きもしない、そんな状況。
しかしこのような窮屈な道を石灰を背負って行き来したとは・・・
もしや荷車も通したのであろうか?
どちらにしろ難所であったはずだ。
効率化という名の酷な労働が遠い昔にもあったかと思うと、つくづく日本人というヤツは・・・
なんて考えていたら、道無ぐね?
最後の所だけ、路面が消えている。
いや、うっすらあるか?
明治道は直ぐ目の前なのに!
エイヤーと下り振り返りの1枚。
九十九折れとなっていた、と思う。
難なく路面がわかった貴方は明日から廃道歩きができますよ。
この後、再度明治隧道に突入するのだが。
そこで見た物とは!?
その4に続く。