2010年06月02日

中山道の件

動画の方で、年越し蕎麦について考察している途中ですが(26次目〜32次目の予定)

これ割とガチです。多分、今までの考察系の中でもトップクラスのガチ度です。

文献なんかも調べましたが、ここまで推察したのって俺だけじゃね? みたいなね。

それはそうと、動画の方にホモっぽいのが沸いてて、少々うざい。てか、気持ち悪い。

何か? 俺の声は誘蛾灯なのか? 普通に喋ってるだけなのに……

新手の嫌がらせだと思いたい、今日この頃。

投稿者 楓岱 : 00:20 | トラックバック

2010年03月20日

富士山周辺調査してるよ

今日も元気にジム・ビームが美味い! こんばんわ、管理人です。

黒猫の嫌がらせにも負けず、無事帰って参りました。

黒猫かわいいよ黒猫。

さて、連休初日ということもあって、高速大渋滞ですね。事故渋滞のラッシュですよ。

まあね、山中湖如きに高速使うのは基本的にどうかと。そういうスタンスですよ。

国道413ですよ。何往復したか忘れるくらい通ってますよ。

で、何しに行ったかというと、石割山に登ってきた訳です。

鈍った体に喝を!

というのと、石割神社の調査です。

この神社かなり珍しいですよ。祭神が。

イワナガヒメ命というんですが、富士山に祀られてる神様の姉さんです。

記紀にも出てくるんですが、祀られてるのは日本でも数える程しかない。

その内のひとつが山中湖にある。

現場ついて愕然としました。最初からクライマックス。

階段ですよ。

200段以上あんじゃね?

登ってて、逝きかけました。

山頂まで約一時間半。結構急坂有り。

で、本題の神社は八合目付近にあるんだけども、岩の裂け目を三度くぐると開運すると言われている。当然くぐりますわな。

というかですね、最後の鳴き声何?? 猿? 鳥? 鹿?

現場でこんなの聞いた記憶無いんですがね……

投稿者 楓岱 : 19:22 | トラックバック

2009年09月12日

裏参りとは……何なんだ?

さて、今年の5月の事である。

群馬の咲前神社に行ったんだが

そこで本殿の裏に

SANY0026.jpg

SANY0027.jpg

このような物を見つけた。

神主さんに聞いたところによると、狛犬だという。

色々と神社を見て来たが、本殿の裏に狛犬があるのは初めて見た。

この朽ちた狛犬。話によると、いわくがあるらしい。

それが裏参りなのだ。

人には言えないような願掛けを本殿の裏からする、ということらしい。ある意味シンメトリーな配置になるように、狛犬がある、と考えられるのだが……

色々あって意気投合した神主氏によれば、この地域には他にもあるとか無いとか。

そこで、安中地域の神社をローラー作戦で踏査することにした。

果たして他にも似たような神社があるのだろうか?

という訳で、明日出陣致します。調べた所、少なくとも23の神社を確認した。

……

一日じゃ無理じゃねーか!!!

投稿者 楓岱 : 19:29 | トラックバック

2009年09月08日

寒川神社調査編

えーと詳しくは動画にまとめたので見て下さい。

今までで一番まともな調査だったかもしれない……ある意味。

投稿者 楓岱 : 22:35 | トラックバック

2009年08月17日

香取神宮/鹿島神宮

気合い一発、今日も調査に行って来た。

色々思う所があるものの、さすがに疲れたので簡単に。

香取の巫女さんは美人だった。とりあえず、話しかけておいたぜ。故に香取神宮に一票。

以上、異論は認める。

……

まじめな話を少しすると、香取神宮の方が俺の興味からするとやりやすい。というか景観の変遷を追うだけでも面白そうではある。社殿の位置関係も意味不明な所が多々あるし。

なお、取り立てて書く程でもないが、香取神宮内で特定の神域に差し掛かった所、デジカメに動作不良が発生した。バッテリー切れとか、そんなちゃちなもんじゃあねえ。ちなみに、その場で回復したので、カメラ的には問題無し。

じゃあ、エロゲしますね。異論は認めない。

投稿者 楓岱 : 20:58 | トラックバック

2009年08月16日

富士・人穴調査編

出落ち、と言わざるを得ない。

ふぅ またやっちまったヨ。

何なんですか、これわ。左手の神秘十字線とやらのせいですか?

……

……

思うところがあって、富士山西麓の調査をしてきたんだが……

恩師のH先生のお供で、富士宮浅間神社と村山、山宮浅間神社を見に行ったのが、もう三年前になる。

その時は時間が無くて、人穴に行けなかったので、今日行って来た訳だ。富士信仰を知る為には、重要な聖地という事だったので。予備知識はこれだけ。

現地に着いたのは、午前9時前くらい。予想以上に中央道が空いていて、すんなり辿り着けた。

県道沿いに不意に鳥居が現れたので、迂闊にも通り過ぎてしまった。引き返すと、鳥居脇に車が止まっていたので、仕方なく鳥居を車で潜った。

第一のフラグである。正に孔明の罠だったのだよ。帰宅後に分かったんだけれどね。

さて、広大な駐車スペースと思しき場所に車を停め、機材を引っ張り出して神社に向かった訳だ。早朝だというのに、他にも2、3台止まっていたのは記憶に留めておく所だ。

その前に駐車場の奥で簡易トイレを発見し、用足しに寄ったんだが、大物が滞留していたので、仕方なく脇の草むらに放尿。

すいません。本当にすいません。以後気を付けますので、許してください。多分、これが二つ目のフラグ。

早朝の空気のせいか、境内は清々しかったが、予想していた観光客は見当たらない。車の持ち主はどこへ? そんな事を考えつつ、階段を登っていく。

社殿の周りには石塔が建ち並び、その傍らに注意を促す看板が立っている。
「崩れるから石塔に触れないこと。人穴も危険なので入らないこと──」

その社殿の右手に人穴はある。

上から覗いただけでも、水が滴っているのが分かった。

さて、どうしたものかと。

正直、洞内に潜行するつもりは無かったので、思いっきりスニーカーである。それに看板の注意もある──

写真でも分かるように、入口には灯明が上げられていて、おそらくほんの数刻前に、誰かが中に入ったのだろう、そんな考えが過ぎった。

1 素直に引き返す
2 いいや、行くね

2番で。

好奇心を押さえられず、行けるところまで行ってみる事にした。

濡れた石段を注意深く降りていくと、予想通り、最近のものと思しき足跡があった。少し安心した俺は、ライトをつけて潜行を開始した。湿った冷気が這い上がってきて、吐く息が白くなった。

いきなり濡れるかと思いきや、内部は木道が整備されていて、幸い足下は何とか凌げそうだった。それよりも驚いたのは、その木道に沿って、点々と灯明が灯っている事だった。

明らかにごく最近人が入っている。というか、ほんの数時間、あるいは数分前に──

ライトを正面に向けると、小さな祭壇がぼんやりと浮かんだ。何が書いてあるか調べるために近づいたが、さっぱり分からない。

とりあえず写真に納めておこうと、デジカメをスタンバイし、ファインダーを覗いた。フラッシュを焚かなければ、到底映らない事は分かったが、何故かシャッターを押すのは躊躇われた。

ほんの十秒の逡巡である。脳内で決断を下そうとした瞬間、人の声が聞こえた気がした。壮年男性のような気がして耳を澄ませてみたが、もう聞こえない。

はたと思い当たった。車の持ち主達は富士講の人達ではないか? もしかしたら、今奥にいるのでは?

暗くて分からないが、祭壇の奥にはまだ続きがありそうな感じだった。奥に進むべく、腰を浮かせた瞬間だった。

年輩女性の声で読経が始まったのである。

声はほんの5m先くらいから響いてくる。というか、洞内に響き渡っている。

失態を犯したと気付いた。

この奥では何らかの儀式を行っているのだ。俺の気配に気付いているのだろうか。心なしか読経の声に棘がある。どうやら、俺は完全に招からざる客のようだ。

最後に祭壇だけでも写真に納めようとしたが、結局やめた。フラッシュを焚いて儀式の邪魔をして、どやされてはたまらない。非は部外者であるこちらにあるのだから。

心中無礼を詫びながら、俺はそそくさと洞内を去った。地上に戻ると、あれ程響いてきた読経の声はもう聞こえなくなっていた──という訳だ。

その後、再び鳥居を潜り、富士宮浅間神社と今宮浅間神社をまわったが、全くと言っていいほど戦果は得られず、結局そのままドライブがてら帰宅と相成ったのだ。

まあ、帰って調べてみてドン引きですがね。人穴でググってみて?

で、今ビビリながら書いてるんだけども、それでも断言しておかなきゃならない。

確かに人穴は特殊な雰囲気に満ちた場所だけれど、不思議と居心地の悪さは無い。空気が澄んでる感じがするというか。

以前大失敗した、八王子の廃病院で感じたものとは明らかに異なる。富士講の人達が聖地としたのも分かる気がするくらい。

といっても、長居すべき場所でないのも事実なので、やたらと近づくべきじゃあない。

まあ、洞内の声の主が人であるのかないのかは、知る由もないが、これ以上立ち入るな、という警告的な空気を読めた俺を少し誉めたい。ギリギリで自重して、色んな意味で正解、だろう。

以上、今回の出落ち的なレポでした。

投稿者 楓岱 : 22:28 | トラックバック

2008年03月22日

穴澤天神社 080322

20日は雨だったんで、今日行って来た。

社名 穴澤天神社(アナサワテンジンジャ)

所在 稲城市矢野口3292、丘陵斜面の途中にある。

主祭神 少彦名命(スクナヒコナノミコト)

例祭日 8月25日

一の鳥居をくぐり、急な階段を登ると左手に参道が延びていく。歩いてすぐに

神明社と

山王社の境外末社(?)が左に見えてくる。そして、目の前には二の鳥居。

ここで、簡単な神社の略図を書くと

と、まあ、こんな感じ。

鳥居をくぐって神楽殿があり、

本殿前にはイチョウ(多分)がある。

本殿には向かって左側から
大己貴命(オオナムチノミコト、相殿)
少彦名命(正殿)
菅原道真(スガワラノミチザネ、相殿)
が祭られているらしい。

本殿の左には倉庫やら社務所があって、社務所の脇に筆塚とかいうのがあった。

例祭の獅子舞と筆塚の説明は看板直接見てね。

で、倉庫やらの脇を通って本殿の裏手に回った。これ、結構重要。そしたら

本殿のすぐ奥は谷になっていた。谷の向こうには穴が見える。

……こ、これは……関係あるのか????

考える前に、足は斜面を降りていた。小さな道がある。


両方とも何も無かったwww

よくある。こういうパターン。

斜交層理だったかな? 記憶が曖昧だけど、たしかこの地層はそうだったと思う。地層同士が斜めに区切られてるでしょ? 小さな不整合面で、このスケールと地層が砂なんで多分合ってると思う。

要は海の底だったっていう証拠な訳。

にしても、やはり同行者に地質や植生プロパーが居てくれるとさらに楽しめるんだが……

そんな感じで境内に戻る。したら頂上への斜面に

「小沢城跡へ」

って看板あるじゃない。

行くじゃない、当然。

5分ほどで頂上らしき所に出た。看板によると

城主は源氏の縁者らしい。

周りを見渡すと、富士講やらお稲荷さんやらの石碑や小祠があった。

富士講の石碑の側には小さな塚らしきものがあった。おそらくここから富士山を遙拝していたんだろう。

ちなみにお稲荷さんの祠は真北を向いていた。

下山途中に面白いものに遭遇した。

……空堀……だと?

行くしかねえ!

ここを下ると……もしかして本殿裏の谷に出るんじゃねえのか?

と思ったが、迷ってる内に元の道に戻ってしまった。

大人しく下山。

最後に湧き水の写真。飲めるらしい。

弁天さんが祀られていた。

そしてその奥には2つの穴。

以下、気になる点を列挙して終わる。

本殿の奥にも2つの穴。なんだろ? 関係あるのかな? 江の島の岩屋も奥で2つに別れていて、金剛洞、胎蔵洞と呼んでいたが、これもそんな理屈なのか?

付近には別に弁天洞なるものがあるらしい。おそらくそれも含めて考えなければ。「穴」と何らかの関係あるのは間違いないだろう。

社殿の軸はほぼ東向き、つまり太陽の運行と関連がある、とも言える。

この神社は延喜式内社だから、朝廷の太陽信仰に位置づけられていたとしても不思議じゃない。

ただ、この神社が当時から今の配置だとは言い切れない。なぜなら、城の最前線に位置しているから。

中世の合戦で焼け落ちていても不思議じゃない。

それから、中世つながりでいえば、イチョウの木だ。ご神木だが、このイチョウという木。もしかしたら、源氏と縁のある神社に関係が深いのでは? 鶴ヶ岡しかり。

話を戻すと、太陽信仰だ。しかし、即断は禁物。穴を解明していない。立地条件なんかを吟味したうえで社殿の軸を考察しなければ。

とまあ、この時点でまとめるのも変な話だけど、神社を見るときには、さまざまな時代の残留物が層のように堆積していることを念頭におかねばならないだろう。

大和朝廷の影響によるもの

鎌倉幕府の影響によるもの

戦国時代の武将の影響によるもの(地域特性がある。例、甲府の武田神社など)

江戸幕府の影響によるもの

明治以後の天皇制の影響によるもの

少なくともこれだけは。

言い換えれば、神格化された絶対者の影響が複雑に関わって、現況の社殿景観を形成している。その関わり具合が、その神社、ひいては地域の特性を象徴していると思うのだ。

この辺りを最終的に明らかにしていけたら、おもしろかろう。

投稿者 楓岱 : 20:43 | トラックバック

2007年09月24日

070923 伊豆・小室山編

大室山から北東におよそ5㎞。

山麓部の公園やスポーツ施設を縫うように車道が走る。行き止まりに、小室山山頂へのリフト乗り場があった。

辺りは閑散としている。リフトもほとんどが空席だ。山頂からの眺めは絶望的、ということか。

とは言うものの、登らなければ始まらない。

リフトに乗り込む。さて、山頂はどうなっているのか…

左手の斜面に何かが見えた。鬱蒼と茂る木々の間から白い石像物が現れた。鳥居だ。

(゚Д゚≡゚Д゚)!! 

と、鳥居?? 乗り場の裏手、しかも樹林に埋もれるように何故鳥居が??

Σ(゚口゚;

カ、カメラ! しまった、いきなりこんな事件が起きようとは!

慌てて電源を入れる。不覚だった。リフトは容赦なく斜面を登る。

ぎりぎり間に合った。しかし、非常に気になる。後で調べなくては…

考えている内に山頂へ着いた。案の定、濃密なガスが取り巻いている。視界ゼロだ。乗り場の左手に小さな社殿が見えた。

立て看板によれば

宝永2(1705)年、小田原の城主、大久保隠岐守により創建されたらしい。江戸城築城の際、伊豆の石材運搬の安全を祈願して、とのことだが…

寛永13(1636)に江戸城の工事は完了しているらしい。何世代もの前の話だ。それをわざわざ? 何とも合点のいかない話だが…

社殿の正対方位角は約290°

富士山の方向を向いていると言えば言える。

社殿脇の池が気になった。よくよくみると、人工の池だ。ポンプから水が勢いよく出ている。昔枯れてしまったものを復原したのか?

と思ったが、ありえない。山体は軽石の堆積物で覆われている。水が溜まるはずもない。

不意に、斜面の陰から老夫婦が現れた。会話からすると、どうやら登山道が存在するらしい。

見るべき物も他になく、リフトで下に降りた。

鳥居があったのは①の地点。地図によれば、そのあたりから道が延びていることになるが…そんなものは見当たらなかった。

とりあえず、リフト乗り場の人に話を聞いてみた。

おっちゃんの話だと、リフトが出来るまでは斜面の鳥居から登山道が延びていたという。50年前まではその道を使っていたというが… 山頂部の池は40年ほど前に造ったらしい。

駐車場に戻り、どうしたものかと山を眺めた。もう一度鳥居の写真を撮りたいと思ったが、さすがにリフト乗り場の裏である。話をしてくれたおっちゃんはあきらかに怪訝な顔をしていた。突入はためらわれる。

ふと気づいた。

リフト乗り場から針葉樹の帯が延びている。山体は針葉樹と広葉樹で混交しているのに、そこだけ密集している。

日光や箱根の杉並木が脳裏をよぎる。

目の前の針葉樹の帯は登山道に沿って植えられたものではないだろうか。地図の記載とも整合する。

さて、と。

行くしか無くなってきた。そんなテンション。

トイレ脇に舗装道が見える。それが現行の登山道らしい。

道が二手に分かれた。③の地点だろうと思われる。舗装道は点線の方ではなく、朱線の方へ延びている。とりあえず、舗装ルートを選んだ。

道は杉林の中へ延びていた。ヘアピンカーブの所で立ち止まった。この先に鳥居があるハズだ。

迷わず藪に突入した。蜘蛛の巣とヤブ蚊を払いながら、リフトの音がする方へ忍び寄る。

捉えた! が、これ以上は近づけない。辺りを見渡すと踏み跡らしきものが見える。しかしすぐに判別不能になってしまった。

あきらめて舗装路に戻り、山頂への道を辿る。地図からすれば、このまま歩けばどこかでぶつかるはずだ。

いくら登っても旧道との分岐らしきものはない。その代わり、斜面の下側に古びた階段を発見した(②辺りか)。

引き返し、②の地点に戻り、未舗装路の先に進むと、先の階段の下に出た。

おそらく北側の点線が旧道、朱線が現道、南の点線が旧々道、ということになるだろう。

現段階で興味深いのは、社殿建立の経緯と、開発と信仰の関係だろうか。

大室山と小室山を比較しながら検討すると面白いだろう。今後の課題のひとつだ。

次回は伊豆山か真鶴辺りを攻めてみようかと思う。

投稿者 楓岱 : 21:08 | トラックバック

2007年09月23日

070923 伊豆・大室山編 その2

前回に引き続き大室山に行ってきた訳だけれども

とりあえず宿題を片づけて置こう。

南西側の山麓で見かけた鳥居。図面の①の位置にある。

山頂の神社と関係があるのは間違いない。中に足を踏み入れた。石段はすぐに終わり、目の前には大きな楠が聳えていた。

…何。足踏み入れて大丈夫なのか俺?

向こうには登山禁止の看板が見える。行けるとこまで行ってみるか。

これ以上は無理です。ロープ張ってあるし。ただ少なくともこのルートが昔の登山道だったことは確認できた。図面の通りだったわけだ。

気を取り直してリフト乗り場に向かった…のだが

相変わらずカップルだらけ。

如何ともしがたい。一人で来てる俺ってどうなの? 何かすごい切ない気持ちになってしまったのは、天気のせいだね。

自分に言い聞かせながら、リフトに乗ること5分。山頂はガスに包まれていた。視界は悪い。

今回は火口壁に沿って調査を開始した。

確実ではないけれど、登りに入っていたから図面に落とすと、②の辺りになるだろう。8体の地蔵尊が祀られていた。

立て看板によれば

八ヶ岳地蔵尊
海上安全・海難防除・大漁祈願のために漁師によって建立。大室山は漁場選定の目印とされていた。現在の地蔵尊、つまり写真のものは、昭和59年に地元池区民の寄付により再建された。

ちなみに古い地蔵尊はこの奥に安置されていた。

リフト乗り場の対面側が山頂部になる(③の辺り)。ここから北側を眺めると

前回、社殿の正対軸の延長は小室山に繋がるかと思っていた。しかし、こう見てみるとややずれているように思える。小室山との関連は薄いのだろうか。

ただ、基盤岩が露出している所を選んで社殿が建てられたのは間違いないだろう。

さらに歩くと、またも地蔵尊が出現した。おそらく④の位置にあると思われる。登山道の痕跡は見出せなかったのだが…

立て看板によれば

五智如来地蔵尊

寛文の始め(1663)のころの話しだそうな(ということは社殿の建立の9年後ということになるのか)。相州岩村(根府川と真鶴の間の集落)の網元の娘が9歳で身籠もった。その安産を大室山浅間神社に祈願したところ、無事出産した。そのお礼として真鶴石で地蔵尊を造らせ奉納し、現在地に安置された。

そう言えば、社殿の脇にその網元が建立したと思しき小祠があったな…

ということは、大室山の信仰空間の構造は、①④社殿のラインで理解するのが妥当かもしれない。

どのような儀礼が行われているのか。激しく気になる所で、話を小室山に移そう。

投稿者 楓岱 : 22:25 | トラックバック

2007年09月17日

伊豆・大室山調査 070916

大室山の調査と河津の廃坑道の調査を兼ねて、カラビと私は伊豆半島に向かった。

大室山。それは予想以上の観光地。

駐車場より撮影。昼前に到着したのだが、既に満車。しかもカップルが多うござる。

カラビがニヤリと笑う。

…皆まで言うな。

大室山は登山を禁止している。何でも山肌が荒れるためとか。このため山頂へはリフトでアプローチするほかない。

リフト乗り場の前には赤い大鳥居が聳え、額には浅間神社とある。

山焼きは毎年2月上旬。ということは旧正月の頃になる。民俗的な年中行事の「山の口開け」とおそらく関係するだろう。ただ、生業に根ざした民俗的な意味が、現在どれだけあるかは疑問だ。

山焼き行事はいつ頃まで遡るのだろうか。

何故この山だけこの行事が行われているのか。

そして山焼きを行う主体はどのような社会集団なのか。

……

山頂に降り立った我々は、観光客の列から外れて神社に向かった。

小鳥居から火口に向かって石段が延びている。石段は火口内壁の北側に沿っており、社殿は火口と山頂の中程にあった。

コンクリート造りの社殿。火口内壁から露出した玄武岩をくり抜くように位置している。

社殿の西側には石造りの小祠があり、傍らの石碑には相州岩村の住人が寄進した旨が彫られている。

この浅間神社に祀られているのは姉の磐長姫命。他の浅間神社には妹の木花開耶姫が祀られているのと対照的である。社殿の建立は1654(承応3)年、松平伊豆守によるらしい。

社殿に正対した軸線の方位角は約55°。予想に反して富士山の方向へは向いていない。

我々は再び山頂に戻った。火口壁は周回せず、次の目的地に向かう。時間は限られている。

…さて、どう理解すべきか。疑問は次から次へと湧いてくる。

何故火口内壁の中腹に社殿があるのか。

社殿の正対方向が富士山に向いていないのは何故か。

何故、磐長姫命なのか。

山焼きから守るため、火口内壁に社殿を配置したのか。一理あるように思えるが、積極的な説明にはならないだろう。野焼きから社殿を守る手段は、別に講じることができるはずだ。例えば周辺の草をあらかじめ刈り取っておくとか。

…社殿の背面に露出していた玄武岩。他の斜面は草本で覆われている。これが社殿の位置を決定した要因だろうか。とすれば祭神との文脈に関連性が見出せる。

社殿の真上に差し掛かった時だった。私は周囲を見渡した。伊東の市街、そして相模湾が広がる。

社殿の正対方向…その延長線に見えるのは小室山だった。広葉樹に覆われた円錐形の山体。

…もしかすると大室山と小室山は対になっている? 大室山は富士信仰と関わりを持ちながら、よりローカルな意味では小室山との関連が重要なのか?

いずれにせよ、再調査が必要なのは間違いない。

大室山を後にした我々は一路河津に向かった。

補遺 大室山の南西山麓部には鳥居がありそこから登山道が延びていた。これも改めて調査したい。

投稿者 楓岱 : 16:44 | トラックバック

2007年09月16日

伊豆・大室山  の前に

何故、大室山か。それは全くの偶然である。

カラビと共にリョースケの結婚式に出席した帰り道。横浜の図書館に立ち寄った。

個人的な資料収集と次回調査の打ち合わせを兼ね、地形図を見ていると奇妙な山容が飛び込んできた。

伊豆の大室山だった。

廃隧道を物色していたカラビは、ボタヤマじゃないかと指摘した。それよりも…と、千葉の図面を出し、廃隧道の検討を彼は続けた。その時はそこまで気にとめていなかったが…

家に着くと、無性に気になってきた。早速ネットで調べた。すると…

大室山

・標高580m。噴石丘としての円錐成層火山。約5,000年前の活動によると推測される。
・昔から船の航行や一本釣の目標(山アテという)、願い事を聞く優しい神の山として、附近住民に慕われて来た。
・伊豆大島、天城連山、富士山や晴れた日は南アルプスも望見できる。
・大室山山頂には浅間神社(センゲン)が祀られている。祭神は磐長姫命(イワナガヒメノミコト)。浅間神社の祭神は、木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)が祀られるのが一般的だからその意味で特殊。なお記紀には、磐長姫命は木花開耶姫命の姉として記述されている。
・毎年2月上旬に野焼きを行い、山全体に火を放つ。故に一年性の草本が山体を被覆している。

などである。

意外! それは火山! …って、全然意外じゃねえ…うっかりしていた。俺って何? 今まで何やってたの? くらいの衝撃。

…気を取り直して
山アテ。これはとりあえず置いといて、興味をひくのは富士信仰と関係がある(山頂から富士山を遠望できるのも含め)のと、野焼きを行うことである。

野焼きに関して有名な場所は、奈良の若草山や阿蘇などが挙げられる。大室山においてはどのような意味を持つのか。これは他の事例との比較を通して後日考察することにしたいが、現時点で直感的に言えそうなのは、火山に対する信仰と何らかの接点を持ちそうだということ。

これに関連してやはり気になるのは、富士信仰との関連だ。

大室山という名称が全国にどれだけ分布しているかを知るために、地理院の地形図閲覧サービスを用いて何気なく検索してみた。

中でも特に目を引いたのが、富士山の北西山麓に位置する「大室山」。富士山の側火山であるらしい。

ふと気づいた。この位置関係は…

仮に富士・大室山と伊豆・大室山とを図面上で結んでみると、線上に富士山が乗ってくる。

伊豆・大室山から富士山を見ると、その向こうにはもうひとつの大室山があることになる。実際は見えないけれど。細かく言えば、富士山の山頂から南西に1㎞ほど結線はずれるのだが、生身の人間の感覚とスケールを考慮すれば、ほぼ一直線に並んでいるといっていいだろう。

この奇妙な符丁は単なる偶然なのか。それとも…

これが大室山調査の出発点であった。

投稿者 楓岱 : 22:56 | トラックバック

2007年06月05日

0706犬越計画 1

6月3日1930 経堂

karaと共にラーメンを食いに行く。

はるばる亭にてワンタン麺を食す予定が、飲み屋と化していたため断念。そのまま英になだれ込む。そしてこってりかためを掻き込む。相変わらずうまい。

明日は仕事だ、朝も早い。車に乗り込む我々。

・・・・・・

同日2200


丹沢である。

日曜の夜に廃隧道調査である。

前々から気になっていた犬越路を見たくなったのだ

karaがね。

ラーメン屋で順番待ちしてたらおもむろに切り出したんだな。

・・・行くしかねえか。

という訳で高速飛ばして丹沢へ。

246の清水橋交差点を北上し、一路峠を目指す。

ダム湖を過ぎ、温泉郷を過ぎると、もはやキャンプ場しかない。

鹿は出る。小動物は沸いてくるような山道である。

林道が近づいてくるにつれ

この手の看板が増え始める。

しかし、ステアを握るkaraのテンションは上がりっぱなしだ。今思えば、途中廃隧道に出会ってしまった(最初の写真)のがトリガーだったんだろう。

ただ・・・肝心の犬越路隧道は

封鎖されてて進めず。

鍵掛かってねえって話だったんだけど、貼り紙によれば

「平成19年5月某日、鍵が壊されたので被害届を松田署に提出。鍵壊すなよ!」

みたいなのがあったと。

kara激怒。

「何やってくれてんの!! ここまで来て隧道見れねえのかよぉぉぉぉぉ!」

と、まあこんな感じで今回は駄目でしたと。夜だったし景色まじわかんね。

ひとつ収穫があったのはこの写真

ゲート直前に現れた木の鳥居。山肌に貼り付くようにそびえている。

何なんだこれは?

鳥居から聖地を拝むという風習はままある。例えば岩手の遠野の例

これは早池峰山を遙拝するための鳥居である。

沖縄などでは、拝所という宗教施設を通して、先祖が移り住んできた島々の方に向かって祈りを捧げる。

この民俗文化を理論的に発展させ、柳田が論じた祖先と山の関係とも絡めながら、神社と聖地の空間的な関係が論じられて来たわけだ。

神社の拝殿に向かって頭を垂れるということは、その先の何かに向かって祈っているのだ、現代人はそうと知らずに。そのように構造化されているのだ。

その何かは、本殿に安置されているご神体であって、ご神体とは聖地そのものを具象化、あるいは偶像化したものだから、結局は拝殿前で祈りを捧げることは、その神社における聖地に祈っていることになる。

古社の中には本殿が無く、拝殿から直接聖地を拝ませるものもある。奈良の大神神社がその例だ。

とまあ、このような視点から神社を空間的に分析するのが池中のメインテーマであるのだが、今回出会った木の鳥居は何を意味しているのだろうか。

山に入っていく林道を跨いでいるわけでもない。それでは山自体を遙拝させるものなのか。

今回の調査ではロケーションが同定できなかったので、次回以降に調査したい。

予想としては丹沢の山岳信仰に関連するか、狩猟に関連するか、はたまた遙か彼方の聖地に祈りを捧げる施設ということが考えられる。

とりあえず以上で。

投稿者 楓岱 : 23:43 | トラックバック

2007年04月01日

築地・波除稲荷神社

たまたま訪れた築地で興味深い神社に遭遇した。

波除稲荷神社(なみよけいなりじんじゃ)という。場外市場の東南端に位置する。

祭神は倉稲魂命(うがのみたまのみこと)。俗にいうお稲荷さんである。とりあえず、この神社の由来をのぞいてみよう。

この神社の興味ある点を以下列挙する。

①埋め立てと神社の創建が関係している。

②ご神体が漂着した。

③後に龍、虎、獅子の巨大な頭が奉納され、これが「つきじ獅子祭」の起源となった。

大都市江戸の拡張に伴う新たな土地の創出によって、この神社は誕生した。

言い換えれば、神社の性格は、創建に関わった江戸時代の人々の世界観を反映している。

祭神は倉稲魂命とある。どちらかといえば農業あるいは商業に関係する神である。

しかし、ご神体が漂着したという伝承は、一般的に漁業を生業とする集団にみられるのだ。

上図の矢印に示したが、社殿の空間軸も、明らかに海から来訪する神を意識している。この場所が埋め立て開発のフロンティアだったという点も考慮しなくてはならない。当時、勝どきや晴海の埋め立て地は存在していないのだから。

そして唐突に現れる巨大な獅子の頭。

これらは何を示しているのだろうか?

掘り下げた調査は後日行うとして、現段階でのインスピレーションに導かれた仮説を提示しておきたい。

埋め立てには、諸国から人足が動員されたものと思われる。困難を極めた工事を完成に導いたのは、祭神の神徳によると説明される。

祭神の性格は、動員された人足の価値観の総体が顕現しているのではないか。

工事が完成した後、神社を管理していくのは土地の人間である。それは商業漁業を主体とする人々ではなかったか? 故に、稲荷+海の神という意識はそのまま引き継がれた。

そして獅子の頭の奉納。この頭、いやあえて「首」とここでは呼ばせてもらおう。これは祭りにおいて御輿とともに渡御するのだ。

この事は、江戸の人々の意識の底にあった、将門信仰が再生産されたものと私は思う。

将門の首も突如渡来したのだ。そして漁業を主としていたという集団に祀られたという。平安時代に遡る神田明神の縁起によれば、現在の首塚は海に面していたという。

両者の鎮座地の地理的な特徴と信仰集団の性格は符丁するのだ。

以上のように波除稲荷神社には、江戸の開発と江戸人の世界観や空間認識の関係、両者の動態的な構造の一端が隠されているように思える。

文献調査などによる考証は後日ということで。

投稿者 楓岱 : 21:06 | トラックバック