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2007年04月01日
築地・波除稲荷神社
たまたま訪れた築地で興味深い神社に遭遇した。
波除稲荷神社(なみよけいなりじんじゃ)という。場外市場の東南端に位置する。
祭神は倉稲魂命(うがのみたまのみこと)。俗にいうお稲荷さんである。とりあえず、この神社の由来をのぞいてみよう。
この神社の興味ある点を以下列挙する。
①埋め立てと神社の創建が関係している。
②ご神体が漂着した。
③後に龍、虎、獅子の巨大な頭が奉納され、これが「つきじ獅子祭」の起源となった。
大都市江戸の拡張に伴う新たな土地の創出によって、この神社は誕生した。
言い換えれば、神社の性格は、創建に関わった江戸時代の人々の世界観を反映している。
祭神は倉稲魂命とある。どちらかといえば農業あるいは商業に関係する神である。
しかし、ご神体が漂着したという伝承は、一般的に漁業を生業とする集団にみられるのだ。
上図の矢印に示したが、社殿の空間軸も、明らかに海から来訪する神を意識している。この場所が埋め立て開発のフロンティアだったという点も考慮しなくてはならない。当時、勝どきや晴海の埋め立て地は存在していないのだから。
そして唐突に現れる巨大な獅子の頭。
これらは何を示しているのだろうか?
掘り下げた調査は後日行うとして、現段階でのインスピレーションに導かれた仮説を提示しておきたい。
埋め立てには、諸国から人足が動員されたものと思われる。困難を極めた工事を完成に導いたのは、祭神の神徳によると説明される。
祭神の性格は、動員された人足の価値観の総体が顕現しているのではないか。
工事が完成した後、神社を管理していくのは土地の人間である。それは商業漁業を主体とする人々ではなかったか? 故に、稲荷+海の神という意識はそのまま引き継がれた。
そして獅子の頭の奉納。この頭、いやあえて「首」とここでは呼ばせてもらおう。これは祭りにおいて御輿とともに渡御するのだ。
この事は、江戸の人々の意識の底にあった、将門信仰が再生産されたものと私は思う。
将門の首も突如渡来したのだ。そして漁業を主としていたという集団に祀られたという。平安時代に遡る神田明神の縁起によれば、現在の首塚は海に面していたという。
両者の鎮座地の地理的な特徴と信仰集団の性格は符丁するのだ。
以上のように波除稲荷神社には、江戸の開発と江戸人の世界観や空間認識の関係、両者の動態的な構造の一端が隠されているように思える。
文献調査などによる考証は後日ということで。
投稿者 楓岱 : 2007年04月01日 21:06
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