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2007年04月30日
0704S計画 プロローグ
07年4月28日午後11時。東京の空気は、夕立ですっかり冷え切っていた。
佐久間ダム。長野・愛知・静岡の県境に位置し、戦後復興の象徴とも言われる人造湖である。
彼の地には数々の遺構が眠っているというのだ。
ダム建設に伴い水没した村落や飯田線の遺構、険道288号などなど。
今回参加できなかった石井、そしてkarabinerの無念さを胸に、我々は一路目的地を目指した。
ステアリングを握るのはリョースケ。
初参加ながらそのポテンシャルは驚異的である。元高校球児の動体視力と反射神経は侮れない。愛車エアウェイブを駆使し、東北の酷道を制覇し続けてきた、狭隘峠道のスペシャリストである。今回の調査におけるMVPと言っていい。
ゲストとして迎えたのはスズメ氏。都立大に籍を移して以後3年間、天竜川中流域を調査してきた男。そのマニアックな情報は質量ともに我々を圧倒する。本調査の影の立て役者である。いつしか我々は敬意を込めて彼を「先生」と呼んでいた。
そして、ルートファインダー蒼田と池中の4人を乗せたエアウェイブは中央道を疾走する。
諏訪から県道14号で南下し、羽場から伊那西部広域農道を使い、道の駅「花の里いいじま」に辿り着いたのは午前3時を少しまわっていた。
雲一つない空。月が本当にきれいだった。
そしてこの状況が後に悲劇を呼ぶ。
(続くよ)
2007年04月25日
佐久間遺構情報
佐久間ダム周辺情報提供者の「スズメ」です。
いきなりですが、周辺のみどころについて、概略を描いてみました。
ルートはかなり雑で、地点情報のみが目的です。
ほかに、各種web頁で参考になる例としては
廃線跡の現況、飯田線廃駅等、当時のダイヤ、険道1号の概略、
陸上の遺構、陸上遺構そのほか、飛龍橋
等々です。
雰囲気をつかんでいただけると幸いです。
あと、下草や水位など、現場の状況は、見てみないとわらない要素が大で、
水際の物件は最悪の場合、水没している可能性もあります。
状況に応じてフレキシブルな作戦が求められるといえましょう。
投稿者 スズメ : 19:18 | コメント (3) | トラックバック
2007年04月15日
各位
天竜・佐久間ダム周辺調査に必要かどうかはわからんが、こんなものを発見した。
これはともかく、今のところ必要なものは
マグライト
ヘルメット
くらいだろうか?
という訳で、今日色々見てきましたよ。
ヘルメットは工事用みたいのならば2000~4000円(ハンズでそれくらいだから、ホームセンターならもっと安いはず)
で、スキーやインラインスケートに使うようなものなら最低価格で3000円(ビクトリアで確認)
中田商店の鉄メットなら3800円でした。
マグライトはヨドバシとかで買うのが安い。
ちなみに私はヤザワ製LH-22CHを購入。2980円。従来のLEDの12倍明るいといわれる1Wのもの。φ32、H134(mm)。単4電池3本使用。
他にも種類は多数あるが、ごついのはむやみに持ってると捕まるらしい。ナイフと同様凶器扱いになるという話だ。
後は手袋。軍手でもいいが、革のものをハンズで購入。838円なり。探せばさらに安いものがあるはず。
以上、報告。なお中田にてかなりマニアックなものを発見した。
アディダス製のドイツ軍ウィンドブレーカー。
フランスの消防士ジャケット。
イギリス郵政省のジャケット。
そしてジャージのグレードが上がっていたのに驚いた。
後は各自の判断に任せる。
投稿者 楓岱 : 11:07 | コメント (3) | トラックバック
2007年04月14日
吹上隧道群070408 その4 明治隧道2&小括
切り通しを後にした私の胸に渦巻いていたのは、明治隧道で遭遇した
音
に対する疑念だった。
話を少し前に戻そう。
明治隧道の坑口にたどり着いた我々を迎えたのは、隧道内から湧いてくる音だった。
最初は新隧道を行き交う自動車かバイクの排気音だと思っていた。
しかし、その考えはすぐに打ち消された。
暗闇の向こう、柔らかな午後の光の手前。薄やみの底から、正に
湧いてくる
その音。
機械的な音ではなく、なにかの鼓動を感じさせる鳴き声のように感じた。少なくとも私には。
そしてそれは私だけの感覚ではなかった。
錯覚か? と思った瞬間、皆同時に顔を見合わせていた。
それぞれの表情から、錯覚ではなさそうな事は明らかだった。
「何の音だろう」
誰ともなく口にした。野犬、隧道の軋み、水滴、排気音、……考えられることは全て吐き出した。
排気音は真っ先に否定された。それならば、トンネル内ではなく尾根を越えてもっと広範囲に響いてきそうに思われた。その音は隧道内だけに響いているのだから。
半身を隧道内に潜り込ませた我々の耳に、聞き慣れた音が響いてきた。天井から滴る水音である。それとは全く関係なく、例の音は隧道内に谺している。これで水滴の可能性も否定された訳だ。
隧道を囲んでいる地盤の軋みの線も否定できなかったが、それも否定された。二歩三歩奥へ進みかけた我々の脇を通り過ぎて、その音が背後にまわったのだ。
もう一度言おう。音が背後にまわったのである。
行く手と背後をライトで照らす。そこには隧道の内壁と地面だけがあった。
それしか無かった。
我々は軽いパニックに陥った。全く理解を超えている。そして急遽エスケープしたのだ。纏わりついてくる音を振り切って、我々は状況を整理した。
というより、不可解な現象に現実的な対象を当てはめたかった。そして導きだされた答えが
野犬
である。
仮定とはいえ、不可解な現象が縁取られると、人間はその形に添って対策を練ろうとする。不安を解消しようとする。
成木側の坑口で我々は野犬の撃退法を話し合った。そして沢の直登を開始したのだ。
向こう側の坑口に野犬が屯している。その現実的な答えが妥当ならば、切り通しを確認して成木側に引き返すのが正解だ。
しかし我々は峠を越えた。
言い聞かせていただけだったのだ。それは野犬の鳴き声だと。
我々の行動はひとつの答えを示していた。それは別の何かだと。
吹上は著名な都市伝説の舞台である。
曰く「明治隧道付近にかつてあった民家で一家惨殺事件があり、それにまつわる現象が起きる。そして訪れた人間は必ず事故にあう」
そしてその民家跡地が
この廃屋だと言われている。幾度もメディアで取り上げられているので、ご存知の方もおられるだろう。
が、我々の興味は…というより、私が気になっていたのは、例の音の正体である。
廃屋から10mほどであろうか、黒沢側の坑口はあった。野犬の姿は見当たらない。私は隧道に引き寄せられていた。
例の音は間断なく隧道内から聞こえてくる。私が振り向くと他のメンバーはうなづいた。そしてkarabinerが言った。
「ここまで来たら行くしかねーよ。駆け抜ければいい」
正直驚いた。蒼田ではなく、karabinerの口からこの言葉が出るとは思いもしなかった。その言葉に蒼田はうなづくと、2人は私を残して隧道内に姿を消した。慌てて2人を追いかける。
例の音に混じって我々の足音が坑内に響く。音はやむ気配がない。坑内全体から降り注いでくるその音の中、3分の1ほど進んだ時だった。大きな音が右の背後で響いた。
「ここだ!」
私はつい声を上げていた。先を歩いていた2人が私の元に戻ってきた。
なんとも拍子抜けする答えに、我々のテンションは急上昇。
現金なものだ。
ついさっきまで戦々恐々としていた姿は、一体どこにいったのか。いつの間にか、小さな鳴き声は現金な闖入者の無駄な熱気にあてられて鳴りを潜めてしまっていた。
落ち着いて見てみると、この隧道は美しい。坑内中央部はレンガ巻きから素堀へと変貌する。
素堀の内壁と
石組みの内壁、そして
レンガ巻きへ。様々な表情をこの短い隧道は凝縮させているのだ。このレポートを書いていて、改めて美しさを認識した。
竹林の斜面にレンガの外構が映える。この素晴らしい隧道に感謝しつつ、我々は昭和隧道を眺めながら帰路についた。
最後に吹上のルート図を載せつつ、青梅市長の談話とともに吹上隧道群のレポを締めたいと思う。
オレンジ色が推測ながら江戸期の峠越えのルートである。緑が明治道、青が昭和、赤が現道となる。
少々訓練を要するが、立体視して頂けると高低差がある程度実感されるかと思う。
広報おうめ 平成15年6月号に青梅市長の談話が掲載されている。
同一個所での四代にわたる「吹上峠みち」は、道の博物館ともいわれております。青梅の歴史、道路や交通の歴史を知るうえで貴重であり、文化遺産として保護し、活用していきたいと思います。
この人隧道マニアなのか? と思うようなコメントである。
ただひとつ言わせてもらえれば、この美しい隧道群を整備するのではなく、このままの姿を保護していって欲しい。それを願う次第である。
了
投稿者 楓岱 : 23:31 | コメント (1) | トラックバック
2007年04月12日
吹上隧道群070408 その3 「文政の切通し」
ここからは主任に代わりkarabinerがお送りします。
吹上隧道070408その2でも一部登場した「文政の切通し」。
諸事情により成木側明治隧道抗門付近からのアプローチとなった。
それらしい路面は隧道の上方に気配を感じた。
勘を頼りに我らがルートファインダー蒼田氏が名も無き沢の直登を開始する。
彼のルートファインディング術は素晴しく、こういったアプローチが不鮮明な場合は後進のメンバーへの手助けにもなる。
なぜか!?
アクロバチックな登りに加え発見した路面も獣道。
写真を撮ってる余裕なんかナカタヨ・・・
(karabinerは高所恐怖症で右側崖は特に苦手)
文政の切通しの歴史は古く、その名の通り開削は文政11年(1828年)。
当時の成木街道は成木で産出する石灰を江戸に運ぶ為の道で、輸送力アップのためにこの切通しを設けたそうである。
当時は成木往還と呼ばれ現在都市部では青梅街道と名を変えている。
切通しを見渡してみると現在でも人の手が入っているようだ。
恐らく林業関係や山菜採りで入山する人が多いのであろう。
実際成木側とは裏腹に黒沢側では歩きやすい道へと変化を遂げる。
小休止の後、黒沢側へと下りを開始。
突然の分岐も直感的に左を選択。
写真ではわかりにくいが恐らく右は作業林道だろう。
よく踏みしめられた小道を黙々と下る。
適度に刈り払いが行われているようで、江戸の道も平成の世で姿そのまま?活用されているのだと実感する。
右側には掘割の先にうっすらと明治隧道黒沢側の抗門が見える。
明治隧道のアプローチは成木側に比べ黒沢側のほうがだいぶ幅が広い。
成木側は昭和隧道を掘る上での地形改変があったのだろうか。
成木側明治隧道へのアプローチルートに良く似た道が黒沢側では江戸道である。
(という事は成木側でみた石垣は江戸期の物か!?)
暖冬の影響であろうか、緑が鮮やかである。
完全にピクニックだな。
若いカップルや老夫婦が「コンニチワー」とすれ違っても、別段驚きもしない、そんな状況。
しかしこのような窮屈な道を石灰を背負って行き来したとは・・・
もしや荷車も通したのであろうか?
どちらにしろ難所であったはずだ。
効率化という名の酷な労働が遠い昔にもあったかと思うと、つくづく日本人というヤツは・・・
なんて考えていたら、道無ぐね?
最後の所だけ、路面が消えている。
いや、うっすらあるか?
明治道は直ぐ目の前なのに!
エイヤーと下り振り返りの1枚。
九十九折れとなっていた、と思う。
難なく路面がわかった貴方は明日から廃道歩きができますよ。
この後、再度明治隧道に突入するのだが。
そこで見た物とは!?
その4に続く。
投稿者 karabiner : 22:57 | トラックバック
吹上隧道群070408 その2「明治隧道1」
明治37(1904)年、東京初の道路トンネルが開通した。
吹上隧道(明治)である。
成木側の斜面はここ最近、人手が入っていないのだろう。ごらんの通り、杉の倒木が道を塞いでいる。
さらにアプローチの途中にはこのようなガリーにも出会った。ほとんど省みられる事なく、この旧道は静かに眠っている。
延長112m、幅員3.3m、天井の高さ2.8m。
明治の隧道は、こじんまりとした石組みのアーチを苔むした煉瓦が固めている。
当然抗内へ潜行する予定だった。
しかし、である。
午後2時。丑三つ時の真反対の時刻である。我々は予期せぬ事態に遭遇した。
いや、
予期はしていた。
だが、我々は渦巻く疑念に現実的な答えをあてがい、隧道内に足を踏み入れた。
この写真を撮るだけで精一杯だった。我々は急遽切り通しの探索に予定を変更して、成木側にエスケープしたのだ。
その3に続く。
2007年04月11日
吹上隧道群070408 その1「昭和隧道」
07年4月8日午前10時 二子玉川。
我々は奥多摩に向けて出発した。
目標は吹上隧道群。
・・・・・・
午前11時30分。
多摩川を遡上し、国道411経由で青梅に辿り着いた。
参加者は池中、karabiner、そして初お目見えの蒼田の計3人。
コンビニで昼食を掻き込む。お約束のカップ麺が六腑に染みる。
青梅駅を過ぎ、小曽木街道を北上し、成木街道に入る。
ほどなく目標は、我々に姿を見せた。
平成隧道(新吹上隧道)は、平成5(1993)年竣工。延長604m。車道幅員7m、歩道幅員1.5m、天井の高さ6.3m。
黒沢側坑口から成木側に向け約33m下るため、成木側のアプローチは不要となっている。
橙光色の口がスピードの乗ったバイクや車を飲み込んでは吐き出していく。
我々は新隧道の手前で旧道へ入り、車を降りた。
車止めの向こうに暗闇が待っていた。
昭和隧道(吹上隧道) 昭和28(1953)年竣工 延長245m 幅員5.5m、天井の高さ4.8m。
石組の抗門が我々を出迎えてくれた。銘版もはっきりと目視できる。
随道内はナトリウムランプが点灯しているものの、明かりがなければ様子は窺いがたい。コンクリ巻きの内壁は排気ガスの染みが浮き出ていた。
昭和隧道を抜け、昭和34年に植樹された桜並木のある成木側のアプローチに至る。
明治隧道は昭和隧道のさらに上にある。我々は成木側からアプローチを試みた。
幅半間(約90cm)ほどであろうか。路肩に注意しながら隧道を目指す。
昭和隧道の直上。それは姿を現した。
その2へ続く…
投稿者 楓岱 : 23:21 | コメント (1) | トラックバック
蒼田合流
吹上・日原調査より、蒼田氏が当調査室に赴任した。
彼のルートファインディング能力と突貫力は、当調査で遺憾なく発揮された。
担当は歩道橋らしいです。今後の活躍に期待大。
2007年04月10日
日原調査
おいおい内容は書き足すとして、とりあえずハイライトのフラッシュをアップしておく。
(この記事は編集中です)
投稿者 楓岱 : 00:38 | コメント (2) | トラックバック
2007年04月09日
先日調査のデータ
karabinerです。
先日の調査データをファイルサーバに入れておきましたので確認下さい。
フォルダは吹上と日原に分けてあります。
Passは吹上は明治隧道で遭遇した生物の英名(4文字)、日原は都道のナンバー(3桁)です。
投稿者 karabiner : 12:22 | コメント (1) | トラックバック
2007年04月02日
飯田線廃線探索
各位
黄金週間の調査地が決定した。
飯田線の佐久間~平岡間。佐久間ダム右岸の県道1号から、飯田線の廃線が目視できるとのこと。
なお、廃線の上には県道288があり、これはかなりの酷道らしい。つーか酷道だ。
酷道あり、廃線あり、廃隧道あり。祭りです。もうこれは祭りです。
各自テンションを上げておくように。私はすでに臨界ですが、なにか。
投稿者 楓岱 : 19:56 | コメント (3) | トラックバック
2007年04月01日
築地・波除稲荷神社
たまたま訪れた築地で興味深い神社に遭遇した。
波除稲荷神社(なみよけいなりじんじゃ)という。場外市場の東南端に位置する。
祭神は倉稲魂命(うがのみたまのみこと)。俗にいうお稲荷さんである。とりあえず、この神社の由来をのぞいてみよう。
この神社の興味ある点を以下列挙する。
①埋め立てと神社の創建が関係している。
②ご神体が漂着した。
③後に龍、虎、獅子の巨大な頭が奉納され、これが「つきじ獅子祭」の起源となった。
大都市江戸の拡張に伴う新たな土地の創出によって、この神社は誕生した。
言い換えれば、神社の性格は、創建に関わった江戸時代の人々の世界観を反映している。
祭神は倉稲魂命とある。どちらかといえば農業あるいは商業に関係する神である。
しかし、ご神体が漂着したという伝承は、一般的に漁業を生業とする集団にみられるのだ。
上図の矢印に示したが、社殿の空間軸も、明らかに海から来訪する神を意識している。この場所が埋め立て開発のフロンティアだったという点も考慮しなくてはならない。当時、勝どきや晴海の埋め立て地は存在していないのだから。
そして唐突に現れる巨大な獅子の頭。
これらは何を示しているのだろうか?
掘り下げた調査は後日行うとして、現段階でのインスピレーションに導かれた仮説を提示しておきたい。
埋め立てには、諸国から人足が動員されたものと思われる。困難を極めた工事を完成に導いたのは、祭神の神徳によると説明される。
祭神の性格は、動員された人足の価値観の総体が顕現しているのではないか。
工事が完成した後、神社を管理していくのは土地の人間である。それは商業漁業を主体とする人々ではなかったか? 故に、稲荷+海の神という意識はそのまま引き継がれた。
そして獅子の頭の奉納。この頭、いやあえて「首」とここでは呼ばせてもらおう。これは祭りにおいて御輿とともに渡御するのだ。
この事は、江戸の人々の意識の底にあった、将門信仰が再生産されたものと私は思う。
将門の首も突如渡来したのだ。そして漁業を主としていたという集団に祀られたという。平安時代に遡る神田明神の縁起によれば、現在の首塚は海に面していたという。
両者の鎮座地の地理的な特徴と信仰集団の性格は符丁するのだ。
以上のように波除稲荷神社には、江戸の開発と江戸人の世界観や空間認識の関係、両者の動態的な構造の一端が隠されているように思える。
文献調査などによる考証は後日ということで。